霧のはじまりは断崖よじのぼる
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
秋 |
出 典 |
風の背中 |
前 書 |
|
評 言 |
昭和60年代の鈴木勁草は居を千葉県に移し、日夜を問わず暇を見ては印旛沼とその周辺を逍遥した。一日に20粁以上歩を伸ばすこともたびたびで、上総の自然と対峙しつつ野の起伏そのままを身体に取り入れていった。 あざみ鋸葉ばりりと夕日つかむかな 運河をのぼる丸太るいるいと春なり 荒神輿荒山車出よや青印旛 虫の夜はびっしり虫の眼で埋まる 冬田の家月日の中に釘うたる この頃から金子兜太を師と仰ぐようになる。秩父の道場へも通い膝下で俳論を交わすこともあったという。代表をつとめていた同人誌「礁」の最終号、鈴木勁草追悼号に文章がある。 「勁草の名の通り、感性の激しい俳句で、私にはことに魅力的でした。批評も正直一途。歯に衣着せぬ物言いは爽快でした。好漢を失った思いにとらわれています。 金子兜太」 断崖に押し寄せる霧は、あたかもそこが始まりであるかのような勢いで湧き出している。印旛沼周辺の地形はなだらかで森が点在する程度だが、夏から秋にかけて、ある早朝一帯が激しく霧に閉ざされることがある。 駒草よ雲とつながらない私 斑雪鳥海山(ちょうかい)天にぶつかる熊ン蜂 竿灯祭りのこと峰雲に聞いたよ 望郷の俳句は少ないが、40年以上故郷を離れていても産土への絶ちがたい思いは常にあったのだろう。 平成12年、「礁」の句会に出席した翌月、異常を感じて受診したとき、すでに残る命は6か月と宣告され、その通りの人生となった。 |
評 者 |
|
備 考 |
- 霧のはじまりは断崖よじのぼるのページへのリンク