電撃通過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 16:14 UTC 版)
野党とマスコミが反対の声をあげる中、1958年10月20日、与党である自由党の院内法制司法委員長金意俊は、新国家保安法を年内に国会を通過させるという党の方針を明らかにした。これに対し民主党と無所属を合わせた野党勢力は11月27日「国家保安法改悪反対院内闘争委員会」を結成し、野党議員85名が署名した「民主主義の葬送曲と共に一党独裁政治が出現せんとするこの時に当たり、我等は国家保安法改悪反対闘争に命をかける」という要旨の宣言文を発表した。 法制司法委員会において保安法改正案の審議が行われていた最中の同年12月19日午後3時、委員会休憩で野党議員が昼食を取りに行った隙を突く形で、事前にしめ合わせていた自由党議員が抜き打ち的に法案を可決した。与党のみによる抜き打ち可決に対し、野党議員77名は、新国家保安法の本会議上程を阻止する最終手段として国会議事堂内で無期限の篭城に突入した。また、篭城最中の21日には副大統領であった張勉が議事堂に篭城議員を訪問して激励し、政府与党の強硬姿勢を批判した。 膠着状態が続く中、政府と与党幹部は半島ホテル(現ロッテホテル)で会議を開催し、国会警衛を動員して野党議員を排除し、24日に国家保安法改正案を通過する手順を決めた。そして、篭城5日目の12月24日午前9時50分、80名余の野党議員が篭城していた議事堂の中に自由党議員128名と警衛に仮想させた警察官300名余が突入し、野党議員は警衛たちの手によって議事堂の外に連れ出されたが、その際に議員12名が負傷した。こうして国家保安法改正案と地方自治法改正案は自由党議員のみの賛成で可決・通過し、12月26日に公布、翌1959年1月15日から発効した。この間、李承晩大統領は慶尚南道の鎮海にある大統領別荘で休養を楽しんでいた。
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