電文の公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 10:07 UTC 版)
大本営海軍部が受信した電文は、第二次世界大戦後も防衛庁資料室に残されており、1974年7月に杉浦喜義海上自衛隊第5航空群司令がそのコピーを平良市に寄贈した。これによれば、海軍軍令部が電文を受理したのは日本海海戦では日本海軍の勝利が確定し残敵掃討に移行していた段階にあたる5月28日10時であり、流布話とは実態が大きく異なっていたことが判明した。 五月二十八日午前十時〇分 受信受信者 海軍部 発信者沖縄県宮古島司 同警察署長本月二十三日午前一〇時頃、本島慶良間間中央ニテ軍艦四十余隻柱二三煙突二三船色赤二余ハ桑色ニテ三列ノ隊列ヲナシ東北ニ進航シツツアリシガ内一隻は東南ニ航行スルヲ認メシモノアリ但シ船旗ハ不明、右報告ス発信局ヤエヤマ 五月二十八日午前七時一〇分 発信 —大本営海軍部あて電文、
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