電化とCMP移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:28 UTC 版)
1929年、メトロの運営会社であるパリ首都(メトロポリタン)鉄道(CMP)は、パリのターミナル駅から各方面に向かう郊外路線をパリ市内の地下線で相互に結ぶ計画を発表した。これは後のRERの基となるものであり、ソー線はリュクサンブール駅からセーヌ川を越えて右岸まで延長され、北部郊外方面への路線と直通運転を行うものとされた。 CMPとパリ・オルレアン鉄道、フランス政府、関係自治体の協議を経て、直通に備えたソー線の改良が行われ、1937年にはリュクサンブール - マッシー・パレゾー間が直流1500Vで電化された。このほか信号や駅の改良が行われ、運転本数は一日あたり53本から153本へと大きく増加した。 1938年のフランス国鉄発足時に、ソー線のマッシー・パレゾー以南はパリ・オルレアン鉄道の他の路線と同様フランス国鉄に移管されたが、リュクサンブール - マッシー・パレゾー間はCMPに移管され、以後はメトロの一部のように扱われ、‘S’ と付されてメトロの路線図に表示されるようになった。 また南部区間のうちマッシー・パレゾーからサン=レミ=レ=シュヴルーズまでは1939年に電化され、CMP区間と直通運転を行なった。これらの改良により、世界恐慌以来減少の続いていた乗客数は急上昇に転じた。一方で電化されないままだったサン=レミ=レ=シュヴルーズ - リムール間は1939年に休止され、1940年には正式に廃止された。 リュクサンブールからパリ右岸方面への延長は資金難から着工に至らないまま、第二次世界大戦勃発により中止された。
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