隠者ピエールの伝説化と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:38 UTC 版)
「隠者ピエール」の記事における「隠者ピエールの伝説化と評価」の解説
後のカトリックの歴史家や近代の歴史学者は否定しているが、十字軍から間もない12世紀前半の年代記作者であったマルムズベリーのウィリアムは、隠者ピエールこそが第1回十字軍の真の発起人であったと書いている。彼は、ピエールがエルサレムを巡礼した際、聖墳墓教会で彼の前にイエスが現われ、十字軍を呼び掛けるよう命じたという逸話を記している。この話は、第1回十字軍から数世代後に聖地にいたギヨーム・ド・ティール(Guillaume de Tyr)の文にも書かれており、パレスチナにいた十字軍の子孫たちの間でも、ピエールが十字軍の呼びかけ人だったと信じられていたことを示す。この伝説の起源がどこかについては研究がなされており、19世紀ドイツの歴史学者ハインリヒ・フォン・ジーベル(Heinrich von Sybel)は十字軍に参加した貧者たちの宿営地で隠者ピエールに対する偶像化が始まっていたことを述べ、ロレーヌ人兵士らの間でゴドフロワ・ド・ブイヨンが十字軍最高の戦士として英雄化されたことと並行していると指摘している。 アンナ・コムネナの著した歴史書や、アンティオキア公ボエモン1世に近い人物のものとみられる著者不明の年代記『ゲスタ・フランコルム』(Gesta Francorum、ノジャンのギベールが年代記を書くにあたり基とした書物)では、実在の人物としてのピエール像が描かれているが、その他の12世紀の年代記、例えばアーヘンのアルベルトの著書では隠者ピエールが、「十字軍の目的が純粋だった時代」の伝説的かつ敬虔な指導者として描かれている。 隠者ピエールに対する今日の見方は、怪しげな扇動者というものから、民衆指導者としてのある程度の評価まで分かれている。民衆十字軍についての評価も、11世紀末や12世紀の当時から今日まで様々に分かれている。物的にも精神的にも貧しい集団として、軍事的に足手まといになったことや無秩序な烏合の衆で行く先々で略奪をしたことを強調する否定的な見方もあれば、民衆史観などの立場から、当時の中世ヨーロッパの貧しい生活から抜け出そうとした民衆による運動として見るものもある。
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