陸軍軍吏学舎での教育
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「陸軍経理学校」の記事における「陸軍軍吏学舎での教育」の解説
1886年(明治19年)8月、陸軍軍吏学舎条例(陸軍省令乙第116号)にもとづき陸軍軍吏学舎が設立された。条例の第1条で軍吏学舎は「陸軍省会計局の管理に属し、学生を召集しこれに要用なる学術を教授し軍吏部士官と為るべき者を養成する所」と定められた。学舎の編制は陸軍会計局長に属する一等または二等監督の舎長以下、三等監督、監督補あるいは一等、二等軍吏からなる教官8名、軍属の助教4名、書記2名の計15名と学生が当初の定員であった。初代舎長は陸軍省会計局第二課長であった川口武定二等監督が補職された。 同条例による陸軍軍吏学舎の被教育者は次のとおりである(1886年8月時点)。 軍吏学生 軍吏部士官となるべき教育を受ける。 一等書記のうち将来有望の者。修学期間は約10か月、毎年9月に入校。 陸軍軍吏学舎は当初、東京府麹町区平河町5丁目の陸軍臨時建築所跡地に置かれ、1887年(明治20年)9月、麹町区富士見町4丁目に新築された施設に移転した。 1889年(明治22年)6月、陸軍軍吏学舎条例の追加改正(陸達第96号)により、歩兵科、騎兵科、砲兵科、工兵科、輜重兵科で2年以上その階級にある隊附曹長は定員の4分の1まで軍吏学生に採用することが可能になった。さらに翌1890年(明治23年)5月末、陸軍軍吏学舎条例の改正(陸達第110号)では「隊附」の文言が削除され、憲兵科、屯田兵科を除く各兵科で2年以上その階級にあるすべての曹長が軍吏学生へ採用可能とされた。 軍吏学生は第1期から第4期まで計107名の卒業者を数えたが、陸軍はさらに上級経理官である監督部の士官を補充する教育も担う教育機関とするため陸軍軍吏学舎を発展的解消し、新しい学校へ再編することとした。
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