陳老人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 16:09 UTC 版)
香港拳法界にその人ありと称され、多くの人々の尊敬を集める達人。この時の倍達は前述のタイ式ボクシング、サファーデ、地下プロレスらとの連戦連勝の戦績からいささか慢心が出てきており、陳の事も会う前から見下した思いを持っていた。実際に会うと陳は枯れ木のような、60をとうに越した老人であり、倍達は態度こそ殊勝だったものの、腹の中では「お話をありがたく伺って引き上げるのが礼儀のようだ。敬老精神…か」とせせら笑っていた。しかし陳は挨拶の後実際に立会おうと申し出る。高齢だったために倍達は本気の手合わせはせず、適当に寸止めであしらおうとしたが、実際に立ち会うと「交差法」を極限まで追求した見事な「円の動き」に追い詰められ敗北を認めるはめになった。倍達の素質を認めた陳の勧めで一週間弟子入りした倍達は円の動きを習得し、組手で陳の一番弟子を圧倒、陳との再戦は行わないものの、陳自身が、対戦した弟子は最近では自分も組手では押されぎみの強者である事を告げ、「私は一週間前には幸いにもあなたに勝ったが、もはや及ばぬでしょう」と倍達が自分を超えた事を認めた。倍達は、「おれは強くなった」と実感して、陳とその弟子達に見送られながら日本に帰国した。後年、倍達の弟子でもある弁護士チャングの集めた情報では、技の切れ、破壊力などは、李青鵬の方が遥かに上という専門家筋の評価であり、陳はあくまで優れた人格を尊敬されて李と対等に扱われているだけとされた。前述の通り、陳には自分を越えたと認められたものの、倍達はこの時も自分が生涯唯一の敗北を喫した陳よりも上という事で李青鵬に脅威を感じていた。後年倍達の弟子である真樹日佐夫が、当時の陳一族の首領、陳ヨウリンを倒して、長年の雪辱を果たしたと本作のラストで語られている。
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