阿波沖海戦
阿波沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 15:39 UTC 版)
慶応4年1月(1868年1月から2月頃)、春日丸は幕府海軍の軍艦「開陽丸」、「蟠龍丸」、「翔鶴丸」が封鎖する兵庫港に入港した。後に海軍提督になる東郷平八郎は、この時(1月3日)に三等砲術士官として春日丸に乗船している。 1月3日(1868年1月27日)夜、春日丸は僚艦「翔凰丸」、「平運丸」と共に兵庫港を出港し、平運丸は明石海峡方面に、本艦と翔凰丸は紀淡海峡方面に向かったところ、1月4日早朝に春日丸・翔凰丸を開陽丸が発見、開陽丸と春日丸は1,200 - 1,500mの距離で砲撃戦を行った。これが日本史上初の蒸気船同士による近代海戦である(阿波沖海戦)。 春日丸はこの海戦の後、鹿児島に帰港している。
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