開校から小川町校舎時代までとは? わかりやすく解説

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開校から小川町校舎時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 14:15 UTC 版)

東京物理学校」の記事における「開校から小川町校舎時代まで」の解説

1881年9月開校東京物理学講習所として)時の校地は、東京府麹町区飯田町四丁目1番地私立わかまつ小学校であり、そこを間借りする形で授業が行われた(現在、この地には「東京理科大学発祥の地」の碑が建立されている)。その後1886年まで校地目まぐるしい移転重ねた。すなわち神田区錦町一丁目大蔵省官吏簿記講習所1881年末 - 1882年)、本郷区元町二丁目の進文学舎(1882年)を経て1882年11月神田区今川小路三丁目9番地現在の神田神保町三丁目)に念願校舎取得したこの際教員一同土地所有者となった)。しかし1884年9月15日台風でこの校舎倒壊したため共立統計学校(九段下牛ケ淵)の校舎授業再開したその後指導科目化学追加したが、実験時に火災の危険があるとして退去迫られ1886年9月には神田区駿河台淡路町成立学舎への移転よぎなくされた。 1886年11月神田小川町1番地現在の千代田区神田小川町二丁目)の東京仏学校校舎移転した。これは東京法学校(現・法政大学)が所有するレンガ造りの旧勧工場内国勧業博覧会日常化した百貨商品販売所)の建物で、これを仏学会賃借し、さらに仏学会から本校夜間の賃借する転貸借によって、昼間東京仏学校が、夜間本校使用していたが、1888年12月、この校舎維持同盟からの拠出金2,200円で購入した。こうして物理学校はようやく今しばらく安住の地を得ることになった

※この「開校から小川町校舎時代まで」の解説は、「東京物理学校」の解説の一部です。
「開校から小川町校舎時代まで」を含む「東京物理学校」の記事については、「東京物理学校」の概要を参照ください。

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