長府博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:41 UTC 版)
川端にある歴史資料をおもに扱う博物館。もとは長門尊攘堂であった。尊攘堂は品川弥二郎が京都に設立したものであるが、のちに彼は長門国にも建てることを考案し、桂弥一に協力を要請した。品川の死後、昭和7年(1932年)2月(=品川弥二郎33回忌)に起工、昭和8年(1933年)10月20日に隣の万骨塔もあわせて竣工・開館した。「万骨塔」というのは「一将功成りて万骨枯る」ということわざにちなむもので、全国から集められた石が設置されている。太平洋戦争敗北で「尊攘堂」という名前が軍国主義的な意味に思われる可能性があったため、昭和22年(1947年)6月25日には財団法人先賢記念長府博物館に改称した。昭和25年(1950年)3月5日に財団法人長府博物館に改称し、同年6月16日には長府博物館友の会が誕生した。昭和31年(1956年)11月17日には資料庫などとして使われた海石榴(つばき)館が完成した。昭和55年(1980年)4月1日に下関市立長府博物館となり、市営となった。平成28年(2016年)11月18日には一新して下関市立歴史博物館に改名して移転した。
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