鈴木主税 (福井藩士)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鈴木主税 (福井藩士)の意味・解説 

鈴木主税 (福井藩士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 14:40 UTC 版)

鈴木 主税(すずき ちから、1814年5月1日文化11年3月12日〉 - 1856年3月16日安政3年2月10日〉)は、幕末武士越前福井藩士)。は重栄、は叔華。号は純淵、鑾城、小桜軒。通称が主税[1]。幼名は小三郎[2]

経歴・人物

福井城下に生まれる。父は藩士の海福正敬、母は八十子。鈴木長恒の養子になり、天保8年(1837年)11月29日家督を継ぎ450石、定座番外となる[3]儒学者の前田梅洞、清田丹蔵に学び、吉田東篁と交流した。天保13年(1842年)8月11日寺社町奉行となる。木田荒地にあった「あおだ」という税を免除し、それに感謝した民がをつくり主税を祭って世直神社とした[4][5]

弘化元年(1845年)2月9日側向頭取となり、嘉永元年(1848年)9月15日側締役、嘉永4年(1851年)2月16日近習になる。嘉永5年(1852年)6月17日金津奉行になる。嘉永6年(1853年)9月16日江戸で省略取調掛になる。嘉永7年(1854年ペリーが再び来航すると、藩主松平春嶽はその調査を行った。主税も軍艦の様子を報告するほか、藤田東湖・鮫島庄助・津田山三郎に面会している[6]。同年大奥侍女削減に関わる。安政2年(1855年)1月9日学問所について取調掛になり[7]藩校明道館の創設にかかわる[8][9]。同年江戸に出た。半井仲庵が主治医となり、橋本左内が薬を処方し看病したが[10]安政3年(1856年)2月10日江戸城常盤橋の藩上屋敷で病死した[11][12][13]東海道品川宿にある藩に所縁のある寺院の天龍寺に葬られた。

評価

吉田東篁は「小三郎は撥乱反正の器」と[2]熊本藩家老の長岡監物は「学術正大にして徳義智識備はるは重栄に如くはなし、余最も重栄に服す」[14]と述べた。横井小楠等と交流があり、藤田東湖が地震で亡くなった際には、水戸藩邸へ駆けつけ嗚咽した。東湖は真に豪傑というべき者は、鈴木主税と西郷吉之助と評した。 橋本左内を「冀くば天下の為に努力せよ」と抜擢した[15]。東湖の墓表を徳川斉昭が揮毫したことから、左内は主税の墓表を春嶽が書くよう中根雪江に進言した[16]

明治31年(1898年)7月、正四位を贈られる[17]昭和5年(1930年)3月9日孝顕寺で70年祭が行われ、昭和11年(1936年)12月25日世直神社(みのり1丁目)に「世直神祠碑」が建造され除幕式が行われた[18]

世直神社みのり1丁目
福井市みのり3丁目の世直神社

著作

  • 御用日記 1847年1月1日~3月18日[19]
  • 小桜軒詠草 歌集[20][21]
  • 藩主への建言 [22]

脚注

  1. ^ 越前人物志 1910, p. 564.
  2. ^ a b 石橋重吉 1943, p. 52.
  3. ^ 福井藩士履歴3 2015, p. 205.
  4. ^ 養父の名で税を免除したため、ともに祀られている。世直神社は福井市みのり1丁目にある。昭和2年に移転計画がでて、大和紡績福井工場の一角(現在は福井市みのり3丁目)にも世直神社がつくられた。
  5. ^ 世直神祠と鈴木主税先生 1931, p. 9-11.
  6. ^ 松平春嶽全集第二・三巻 1973.
  7. ^ 福井市史資料編9 1994, p. 85.
  8. ^ 6月24日の開館式に出席している。開館式には家老から役人まで出席しており、役職と人数が記されているが、主税のみ名前を記載。
  9. ^ 福井市史資料編9 1994, p. 97.
  10. ^ 橋本左内 1976, p. 86.
  11. ^ 福井藩士履歴3 2015, p. 205-206.
  12. ^ 死因とされるものは諸説あるが、半井仲庵が手紙に記した病状から土肥慶蔵は「膓に悪性な腫物(癌腫)」としている。
  13. ^ 世直神祠と鈴木主税先生 1931, p. 31.
  14. ^ 慶永公名臣献言録 (二) 1994, p. 47.
  15. ^ 越前人物志 1910, p. 569.
  16. ^ 橋本左内 1976, p. 96-100.
  17. ^ 越前人物志 1910, p. 572.
  18. ^ 南越花筺會誌復刻版, p. 59.
  19. ^ 柳沢芙美子 2015.
  20. ^ 越前人物志 1910, p. 573.
  21. ^ 「小桜軒詠草」(宮崎長円家文書 デジタルアーカイブ福井)
  22. ^ 慶永公名臣献言録 (二) 1994, p. 37-42.

参考文献

  • 福田源三郎 編『越前人物志』玉雪堂、1910年。 
  • 石橋重吉 編『若越の偉人』大政翼賛会福井県支部、1943年。 
  • 『慶永公名臣献言録 (二)』福井市立郷土歴史博物館、1994年。 
  • 『福井藩士履歴3』福井県文書館、2015年。 
  • 永井環 (1931年). “世直神祠と鈴木主税先生”. 永井環. 2021年9月29日閲覧。
  • 『合同舶入相秘記』所収『松平春嶽全集第二・三巻』原書房、1973年。 
  • 『明道館用留抜書』所収『福井市史資料編9』福井市、1994年。 
  • 橋本左内『橋本景岳全集上』歴史図書社、1976年。 
  • 石橋重吉「文苑○世直神祠碑」『南越花筺會誌復刻版』第23号、花筐の会、1937年7月。 
  • 柳沢芙美子「鈴木主税の弘化四年『御用日記』」(PDF)『福井県文書館紀要』第12巻、福井県文書館、2015年、2023年10月16日閲覧 

外部リンク

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  鈴木主税 (福井藩士)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木主税 (福井藩士)」の関連用語

鈴木主税 (福井藩士)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木主税 (福井藩士)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鈴木主税 (福井藩士) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS