金野軌道(きんやきどう)
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「北陸鉄道石川線」の記事における「金野軌道(きんやきどう)」の解説
1913年国鉄野々市駅(現在の西金沢駅)から犀川南岸を結ぶ貨物輸送を目的とした馬車軌道を金石馬車鉄道(金石電気鉄道)の社長であった横山俊二郎が個人で軌道条例に基づき出願した。8月に特許を取得したが、鉄道用地取得に手間取り、1915年3月になって工事着手、野々市駅から野町までの区間が竣工し1916年1月営業を開始した。しかしその後も工事は遅々として進まず結局終点を犀川南岸から白菊町に短縮して、1916年8月になり新野々市 - 野町 - 西金沢(後の白菊町駅)が全通した。なお1916年に個人から会社組織にし金野軌道株式会社になったが、横山家で全株式の過半をしめていた。その後馬車鉄道は既に時代遅れであることから1919年4月に蒸気鉄道に変更することに決定。社名を金野鉄道に変更し、資本金を20万円にしたが、実現しないまま1920年7月金沢電気軌道に合併された。 輸送収支実績(金野軌道)年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)客車貨車1916 55,601 174 3,294 2,739 555 4 2 1917 66,783 522 4,082 3,193 889 5 2 1918 82,750 2,540 5,789 4,964 825 5 2 1919 99,200 3,767 7,612 9,636 ▲ 2,024 5 2 1920 42,178 3,914 4,486 ▲ 572 1920 35,208 2,768 2,923 ▲ 155 3 1921 5,762 507 1,007 ▲ 500 4 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版 1920年度途中から馬力のまま金沢電気軌道と合併。1922年度馬力廃止
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