金融危機時の金融政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:32 UTC 版)
「ベン・バーナンキ」の記事における「金融危機時の金融政策」の解説
アメリカのマネタリーベースの変化を右図に示す。2008年前後の景気後退時期(グレー部分)から、バーナンキらの量的金融緩和QE1、QE2、QE3によってマネタリーベースが段階的に激増しているのが分かる。 2014年1月、バーナンキは以下のように述べた(抜粋)。 フォワードガイダンス、債券買い入れ(量的金融緩和) われわれは追加刺激を必要としていた。実験的な面もあったが、(フォワードガイダンスと債券買い入れの)2つの方法を用いた。いずれも有益だったと確信している。 金融危機時には苦悩して眠れなかったのではないか もちろん、全くその通り。(しかし)問題に集中して考えるのは私の性質だ。その時は、起こっていたことに心を奪われ、対応策を見出そうとしていたため、苦悩に落ち込んでいる状態ではなかった。(中略)危機の最中は何度か非常に厳しい時期があった。2008年9-10月には、われわれは危機に対応するだけでなく、世界的な危機だったため、世界中の仲間と解決を図ろうとしていた。同時に、われわれは証言を行ったり、何が起きているかを世界に知らせ続けようとしていた。そのため、それは非常に非常に厳しい時期だった。しかし繰り返すが、私は任務に集中していただけだ。 TARP承認に向けた議会への働きかけ リーマン・ブラザーズ破綻や株式市場の急落にもかかわらず、下院は2度目の採決でようやく不良資産救済プログラム(TARP)を承認した。TARPがいかに米経済の安定に必要かを議会に訴えていたとき、ある上院議員が私に、地元の意見は50%が「ノー」、残り50%は「絶対ノー」だと話していたのを覚えている。それほど不人気な政策だった。(中略)場当たり的な対応が、限界に来ていることも明らかだった。そのため議会を巻き込むしか選択肢がなかった。この点に関して、私はとても明確だった。
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