野球部員による不祥事
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「明徳義塾中学校・高等学校」の記事における「野球部員による不祥事」の解説
2005年、後にプロ入りする松下建太・中田亮二らを擁した明徳義塾は高知県大会決勝で二神一人がいた高知高校に延長12回の末、3-2で勝利し、第87回全国高校野球選手権大会への出場が決まっていたが、1年生野球部員が同年5月から7月にかけ、2、3年生部員6人(このうち3人は甲子園大会にベンチ入りする18人の中に入っていた。)から腕や胸をたたかれたり、正座をさせられたりした暴力行為を受けていたことが、7月15日に1年生部員の保護者が学校側に対し、いじめを受けているので学校をやめると申し出たことで問題が発覚。野球部監督が部員6人とその保護者らとともに1年生部員の実家へ謝罪に訪れたほか、学校側は生徒が在校中に使った費用相当額などを返却した。また、高知大会が始まる前に1、2年生の部員計11人が喫煙していたことも判明。これらの事実について学校側は、日本高等学校野球連盟(日本高野連)に報告していなかった。集団喫煙については、1年生8人、2年生3人の部員が野球部寮内で、持ち込んだたばこを吸っていたという。この11人の中には甲子園大会でベンチ入りする予定だった部員はいなかった。8月1日から3日にかけて匿名の情報提供があり、日本高野連が関係者を呼んで事情聴取を進め、明徳義塾は3日に行われた組み合わせ抽選で、大会5日目に日本大学第三高等学校(西東京)との試合が決まっていたが、4日、学校は大会本部に出場辞退を申し入れた。全国高校野球選手権大会で代表校が不祥事で出場辞退するのは初めての事態となった。代わりに高知県大会で準優勝だった高知高校が甲子園大会に出場した。 日本学生野球協会は2005年9月、明徳義塾に対して、2005年8月3日から6カ月の対外試合禁止、当時の部長、監督は同日から1年間の謹慎、副部長、コーチについては警告とする処分を発表した。しかし2005年11月、韓国へ修学旅行中だった宿泊先ホテルの売店で2年生野球部員5人が万引き事件を起こしたため、2006年1月25日に日本学生野球協会は、処分を1ヶ月延長することを決めた。2005年8月3日から半年間、対外試合を禁止されていたが今回の処置で、2006年3月2日まで処分が延びた。日本高野連は2006年3月1日、部員の不祥事による2005年8月3日から7カ月間の対外試合禁止処分を、期日満了の3月2日に解除すると発表した。
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