野球部員の不祥事による監督辞任から復帰まで
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「馬淵史郎」の記事における「野球部員の不祥事による監督辞任から復帰まで」の解説
2005年に明徳は全国高校野球史上初の地方大会8年連続優勝を果たしたものの野球部員の不祥事が発覚し、対戦相手(日大三高)決定後に出場を辞退した。馬淵は8月4日に責任を取り監督を辞任、高野連から1年間の謹慎処分を受けた。馬淵の後任監督には野球部副部長の飯野勝が就任したが、翌年夏の高知大会は準優勝に終わり、馬淵抜きでの甲子園出場は果たせなかった。しかし、2006年8月16日に高野連の審議委員会で馬淵の復帰が承認され、同22日付で監督に復帰した。監督復帰時のチームでの甲子園出場はならなかったが、翌年のチームで2008年春に甲子園出場(ベスト16)を果たし、復帰後初の甲子園での指揮で健在ぶりを示した。
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