重量級の認定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:30 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション」の記事における「重量級の認定」の解説
上述の通り、JBCでは2009年までスーパーミドル級以上のランキング認定を行っていなかったが(過去にヘビー級を認定した時期もあったが、片岡昇が王座になったのみで、その後はJBCの預かりとなっていた)、実際に同級以上の選手が全く存在しないわけではなかった。 しかし彼らはランキング認定までは、日本でプロボクサーとして活動することができなかったため、西島洋介のように海外で活動してWBA・WBC・OPBFのいずれかにランクインするか(西澤ヨシノリやクレイジー・キムのようにOPBFに戴冠した例はあるが、WBCとWBAのスーパーミドル級以上を制した日本人はいない)、プロ以外の手段でボクサーとして活動するかしかなかった。 現在の日本人の体格では、ヘビー級で十分なランキングを作れるほどボクサーが集まるとは思えないが(そうした人物は他の格闘技で活躍する傾向にある。2007年のヘビー級登録はわずか2人であった)、スーパーミドル級やライトヘビー級に関してはしばしばランキングの認定を要望する声が上がっている。日本人の体格はヘビー級が廃止された時よりも、平均身長で8センチ程度伸びていて、寺地永(189センチ)など過酷な減量を強いられていた選手もいた。これについては、稀にオケロ・ピーターのように海外から重量級の有望選手を獲得できても、ジムに海外でのコネクションが無いためランカー戦や世界戦の交渉をまとめられず、ようやく実現しても既に選手としてのピークを過ぎてしまっている、という弊害もある。日本人においても竹原真敬がヘビー級で活動しているが、対戦相手が見つからず長期間のブランクを強いられ、最終的にJBCライセンスを手放してオーストラリアへの転籍を余儀なくされた、ということもあった。ただし、こうした弊害は弱小ジムでは中軽量級においても見られる現象で、帝拳プロモーション代表本田明彦など有力プロモーターの助力を仰ぐ形でようやく実現する、といったマッチメイクも少なくない。 だが、2008年11月に東日本ボクシング協会がヘビー級活性化へ向け、日本タイトル復活をJBCに働きかけることを検討した。12月の日本プロボクシング協会理事会の承認を経て、JBCへ要請したものの、具体案がないことから一度差し戻された。2009年2月9日、東日本協会内で特別委員会が設置され、具体案を検討した上で改めて提出。12月8日に重量級を対象とした第1回プロテスト実施、2010年のマッチメイクを目指した。ヘビー級復活に併せて当初よりランキング作成されていなかったスーパーミドル級からクルーザー級までも設置する方向となった。そして2011年、K-1ヘビー級で活躍した藤本京太郎のプロボクシング転向もあり、日本ランキングが復活。この際に上記の竹原も日本へ復帰を果たした。さらに2013年7月25日、藤本京太郎と上述のオケロ・ピーターとで日本ヘビー級タイトルマッチが開催、藤本が56年ぶりの日本王者に輝いた。
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