那覇軍港の遊休化問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:59 UTC 版)
「那覇港湾施設」の記事における「那覇軍港の遊休化問題」の解説
那覇軍港が活発に使われたのは1960年代のベトナム戦争の時代で、米軍ロジスティクスの重要拠点として物資の集積や輸送が頻繁に行われていた。那覇市の中心に位置するにもかかわらず、原子力潜水艦も寄港しており、1968年に米原子力潜水艦が入港した際には、周辺海域から放射性物質コバルト60が検出された。 1972年以降は、小禄半島に密集していた米軍基地は現在、那覇軍港を除いてすべて移設・返還されたか、自衛隊基地として移管されたかのどちらかで、かつて那覇軍港から普天間飛行場を経由して嘉手納まで敷設されていた陸軍貯油施設の送油管 (パイプライン) や、与儀タンクファームも既に撤去されている。つまり小禄には現在、那覇軍港ひとつしかない。軍港としての機能は大きく東海岸のホワイト・ビーチ地区に移行している。 このような経緯から、70年代半ばから既に那覇軍港は「遊休化」していると指摘されており、那覇軍港は遊休化しているので、即時無条件返還を求めるべきだ、国際法に違反して米軍によって奪われ、現在は遊休化しているに等しい那覇軍港の「代替施設」をなぜ浦添につくらなければならないのか。代替施設なく返還してこそ、那覇市や浦添市、県の経済振興発展になるのではないか、という意見が繰り返しなされてきた。日米地位協定第2条第3項には、「合衆国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなったときは、いつでも、日本国に返還しなければならない。合衆国は、施設及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討することに同意する」と規定されており、遊休化している基地は返還することが前提になっている。 2020年10月10日、玉城デニー知事は遊休化している軍港の先行返還を要求したが、12日、加藤勝信官房長官は「実際に使用されており、遊休化してない」と述べた。11月16日、県議会のアメリカ軍基地関係特別委員会の議員らが那覇軍港の使用状況を沖縄防衛局に尋ねたが、防衛局側は入港した船のデータは2002年まであるが、それ以降は米軍はデータを公表していない、と回答した。
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