遺構と現在の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:24 UTC 版)
1972年(昭和47年)、旧鳥取農業高校の校舎新築工事中に、天神山南麓から弥生期から戦国期にかけての複合遺跡が出土した。古銭や土師器、白磁や青磁、水濠跡、掘立柱の跡、焼けこげた井戸枠などが出土し、城下町の存在や火災を物語っていた。中世守護所と城下町を検証する貴重な遺跡として保存を望む声も強かったが1か月余りで発掘調査は終了、校舎建築は続行され、地下の遺跡は破壊されてしまった。 現在、天神山の麓には鳥取県立鳥取緑風高等学校の校舎が建っているが、天神山には土塁、曲輪跡、空堀跡、堀切跡、切岸がかなりはっきりと残っており、かつての有様を偲ぶことができる。さらに天神山上には天守櫓が築かれたとされる高さ5メートルの岩塊や井戸が残る。城地を巡っていた水堀の一部も農業用水として現存している。 1976年(昭和51年)8月3日付で県の史跡に指定された。 一方の卯山は宅地化が進み多くの曲輪跡が消滅しているが、日吉神社の周囲には、神域であることが幸いして、宅地化による破壊を免れた曲輪跡がいくつか残っている。 徳吉城や新山城をはじめとする布勢天神山城周辺の砦群は、宅地化や国道9号の改良工事に伴って破壊が進んでいる。
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