遺構が残る山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 06:20 UTC 版)
八上城は慶長14年(1609年)に廃城になるが、古風な中世式の遺構が残る典型的な山城である。大阪歴史学会による保存運動がおこなわれ、2005年3月2日、兵庫県下では41件目の国の史跡に指定されたが、その指定理由として、中世の山城であるにも関わらず、数多くの遺構が往時のままに残っている点が評価された。 戦国時代の典型的山城である八上城と、近世城郭で典型的な平城である篠山城(ともに国の史跡)とが、ともに丹波篠山市内の近い場所にあるという点も特筆される。 山全体が要塞化しており、東西に長く、北西はもっとも険しく、南は細い尾根が続いており、攻めにくく守りやすい。
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