遺体の回収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 01:28 UTC 版)
「プリンセス・アリス (客船・1865年)」の記事における「遺体の回収」の解説
沈没のニュースは、ロンドンの中心部に電信で伝えられ、すぐにスワン・ピアー (Swan Pier) で汽船の帰還を待っている人たちに漏れ伝わった。親族らは、ブラックフライアーズ (Blackfriars) 近くのロンドン・スティームボートの事務所に行き、より多くのニュースを待った。多くは、列車に乗りロンドン・ブリッジ駅からウーリッジ・アーセナル駅に行った。群衆は夜間に、そして次の日になっても大きくなったが、これは親族と観光客のどちらもウーリッジに行ったためである。警察官が追加で召集され、群衆の統制を助け、陸に上げられた遺物を取り扱った。複数の遺体が、上流のライムハウス (Limehouse) から下流のイアリス (Erith) まで押し流されたという報告が入ってきた。遺体が陸に上げられたとき、それらは中央ではなく身元特定のため地元で保管されたが、ほとんどはウーリッジ・ドックヤード (Woolwich Dockyard) に留まった。親族は行方不明の家族を探すために、テムズ川両側の数箇所の間を移動しなければならなかった。地元の水夫らは、遺体を探すのに1日2ポンドで雇われた。彼らは、回収した1体あたり最低5シリングを支払われたが、それは時には遺体をめぐる争いにつながった。拾われたうち1体はグリンステッド、プリンセス・アリスの船長の遺体であった。 テムズの遺体は、下水と地元の産業産出物とからの汚染のために、ねば土 (slime) で覆われていて、きれいにするのが難しいとわかった。遺体は通常よりも速いペースで腐敗し始め、多くは異常に膨張していた。犠牲者らの着衣もまた急速に腐敗し始め、汚染された水に浸されたのち変色した。生存者のうち16人が2週間以内に死亡し、他の何人かは病を患った。
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