遺体の処置
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金正日の遺体は12月20日、父と同じく錦繍山太陽宮殿(当時の名称は錦繍山記念宮殿)に安置され、カーキ色の服を着せられ上からは赤い布を覆い被せられたほか、周囲を赤白の花・キムジョンイルファ(金正日花)で飾られた状態で、ガラスの棺に入れられ公開された。遺体公開は死亡から78時間半後のことであった。遺体は錦繍山記念宮殿にて永久保存されることが決定しており、そのためにロシアより遺体保存の専門家チームが派遣され、処置が行われている。 同日には金正恩が錦繍山記念宮殿を訪れ、遺体と対面したことが報じられた。これが金正恩の、父・正日死去後の初の動静報道であり、またこの報道で金正恩の序列が1位になったことが判明した。この日から葬儀前日の27日まで、金正恩が金正日の遺体と対面した回数は5回を数えた。
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遺体の処置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:56 UTC 版)
「ムアンマル・アル=カッザーフィーの死」の記事における「遺体の処置」の解説
死の直後、カダフィの遺体についてはすぐさま埋葬するかしばらく冷凍保存するか、埋葬するにも場所はどこにするか、という点で議論が巻き起こった。 イスラム教の戒律では死後24時間以内に埋葬しなければならないが、埋葬先をめぐって反カダフィ勢力内で対立があったほか、埋葬せずに一般人がカダフィの死を確認できるように数日間は冷凍保存すべきとの意見もあった。埋葬するにしても支持派の聖地とならないよう、埋葬先を極秘にする必要があり、そのため数日間をかけて場所を選定することとなり、埋葬の日がずれ込んだ。10月21日から24日にかけてカダフィの遺体がミスラタにあるショッピングセンターの冷蔵室に安置され、市民に公開された。一般公開には多数の市民が訪れ、遺体に歓声が上がる場面もあった。 一般公開を終えた後、カダフィの遺体は五男(日本の報道では誤って四男とされた)と共に砂漠地帯に秘密裏に埋葬された。なおカダフィの遺族や彼の出身部族は、出身地であるスルトに埋葬するよう希望していた。
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