遠国御用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 02:11 UTC 版)
御庭番が幕臣としての身分を隠し、遠国に実情を調査に出かける旅行のことを「遠国御用」という。前述したように、彼らは一般に言われるような華々しい間諜行動はとらなかったようだが、それでもしばしば命ぜられる遠国御用は重要な任務だった。 御庭番に関しては、将軍の命を受けてすぐに幕府御用達呉服店におもむき、秘密の部屋で変装して家族にも告げず、ただちに出立するといった記述をよく見かけるが、御庭番自身の談話や彼らの書き残した記録、幕府に残る公的記録からは、これが伝説に過ぎないことが見て取れる。 実際には、情報収集の命令を受けた御庭番は、出発前に一度自宅に戻って綿密に準備していた。彼らは、幕臣として出世後に御庭番の職務を離れた長老までも含めた、御庭番家筋の間で相互に親密に連絡を取り合っており、命を受けた御庭番は家筋の長老をはじめとする先輩御庭番たちに、調査内容について相談していた。それでも表向きには、御庭番たちは「他人はもとより親兄弟と雖も職務上の秘密を漏らさない」旨の誓紙を就任時に提出していた。また、江戸で事前の調査を行い、予備知識を蓄えてから出発した。調査報告にあたっても報告は書面で認め、先輩御庭番たちの校閲を経てから報告が行われた。 隠密調査中は、公式には病欠扱いとされていたようである。報告書上の旅程は、下命直後に出発して帰着直後に復命した、という形式をとったが、実際には事前の準備と事後の報告書作成のため、前後数日間の在宅期間が存在していた。これは、脇目もふらず職務に邁進したという建前をとる必要があったことと、日割で出張手当が支給されたことによると考えられる。 遠国御用のたびに立ち寄ることになる京都・大坂には、毎回御用を命ぜられた御庭番が立ち寄る御用達町人が、御庭番の隠密調査を支援するための一種の現地スタッフとして配置されており、御庭番は初めての御用でも彼らの助けを得て無事に任務を果たすことができた。
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