運の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:44 UTC 版)
「ギャンブラーの誤謬」も参照 運には「流れ」があるとする主張がある。つまり、運が良くなると良い傾向が続き、運が悪くなると悪い傾向が続くとする主張である。麻雀などのギャンブルで多用される考え方である。だが、これは錯覚の一種であるとする主張もある。人間はランダムな現象からも一定の法則を錯覚により見いだしてしまう。人間の主観ではなく、冷徹な統計学処理においてはカジノでの統計でも運の流れのようなものは見いだされていない。 この運の流れを事前に知ることができるとする主張もあり、人々を惹きつけるが、このような行為が可能であるとする確証は一切無い。 ここで良く誤解されるのは運の偏りである。完全にランダムな現象でも、そこに一定の傾向を見いだすことができるのである。たとえば、1枚のコインを投げて地面に落とし、表か表かどちらが出るかを見る行為でも、双方の面が出る確率がそれぞれ0.5であっても 裏、表、裏、表… などのように表裏が均等に現れることは逆に少なく、どちらか一方に偏りが起きる。実際には 裏、表、表、表、裏、裏… などのように現れることがほとんどである。人間はこのランダムな現象の「ゆらぎ」に規則性を見いだしてしまうのである。実際にプログラマに乱数用のプログラムとして使用されているメルセンヌツイスターでプログラムを作成し、上記のコイン投げをシミュレートした例を提示してみると次のようになる。 表、表、裏、裏、裏、裏、裏、表、裏、表、表、裏、表、表、表、表、裏、… 多くの人にとって上の結果は「異様に表か裏に偏っている・分布が固まっている部分がある」と感じられるのではないだろうか。実はこれは錯覚の一種であり、クラスター錯覚という。クラスター錯覚から理屈を組み立ててしまうことをテキサスの射撃手の誤謬と呼ぶ。ギャンブルなどで負けがこみ、サンクコストが発生しているさいにはこの種の誤謬に陥りやすい。
※この「運の流れ」の解説は、「運」の解説の一部です。
「運の流れ」を含む「運」の記事については、「運」の概要を参照ください。
- 運の流れのページへのリンク