遅々と進まぬ核軍縮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 04:50 UTC 版)
部分的核実験禁止条約は締約国についてはよく守られており、条約で禁止された領域での核実験は停止されているが、地下実験を公認した事に他ならず、すべての実験は“公認”領域で行われているに過ぎない。米国は核実験をすることなく核精能を確かめる方法は見出したが、核実験の禁止は人類が核を持つ限り事実上不可能である。また核爆弾そのものも“進化”し建造物への破壊力は弱くして、対人殺傷能力に優れた中性子爆弾も実験により開発された。地下実験の禁止については通常地震なのか核実験による地震なのか検証不能だったから却下されたのだが、日本では先の北朝鮮の核実験や、フランスの南太平洋の核実験などでたびたび地震が観測されており、しかもまた地震が起き易くなっている。日本、スウェーデンの協力で10~20キロトン以上の爆発は確実に地震と区別出来る技術が開発された。しかし、実際には出来そうもない150キロトンの地下実験を禁止する条約を米英ロ三国は1974年に条約を作成し、地下を含む全面的核実験の禁止の交渉にはいっているが、交渉は極秘であり、80年に中断したままである。 核不拡散条約は世界における安全保障の基礎的条約であり、それほど重要な条約であるが、テロ組織などへの譲渡などの危惧や、中東世界や北朝鮮の核配備(あるいは保有)が現実になり、やや形骸化しつつある。この条約によりかつての核保有国と認定された五大国は、事実上核保有の独占の公認を受けたに等しく、軍事的政治的優位を保ってきたが、非核保有国は核を持たないと自らの行動を制限され、国際原子力機関の自国原子炉への立ち入りを受け入れた。非核保有国は、核保有国が非核保有国に核攻撃する脅威が現存するため、それをしないことを条約に盛り込むべきだと訴えてきた。条約に第六条が書き加えられたが、内容は核保有国の核軍縮交渉を行うと誓約したのみであり、核の脅威は残ったままであった。条約成立後米ロ両国はSALT1で誓約を果たしたと主張するも現実は運搬手段を変え、削減でもなく、戦略兵器の上限枠の設定に過ぎなかった。
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