逮捕・失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:13 UTC 版)
1965年に起きた吹原産業事件の捜査の過程で国有地の払い下げをめぐる不正・さらには田中らの恐喝などが発覚し、1966年8月5日に田中は親族や配下の者等の関係者と共に逮捕される。田中は8日に自民党を離党し、9月10日には衆議院議長に辞表を提出し、議員を辞職。野党の除名の主張にもかかわらず、9月13日、辞職が許可された。捜査で田中のマッチポンプの一端が明らかにされ、7つの事件で恐喝や詐欺や偽証や脱税などの容疑で起訴される。1967年1月9日に1億円で保釈された。 詳細は「黒い霧事件 (政界)#田中彰治事件」を参照 1974年、田中は東京地裁で(1件の詐欺事件が証拠不十分で無罪となったのを除き)起訴された容疑について懲役4年(求刑:懲役7年)の実刑判決を受け、控訴中の1975年に肝硬変にて死去した。田中関係者の裁判では執行猶予付きの懲役刑が確定した。
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