近衛邸跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 09:00 UTC 版)
江戸時代に近衛家は、京都の烏丸今出川の京都御苑内にあった。その場所は、同志社大学今出川キャンパスの向かいに位置する。築地塀や建物はないが、大池を囲む庭園は保存されており、九条家址の九条池に対し近衛池とよばれている。池の周囲には、有名なしだれ桜である「近衛桜」があり、御花見シーズンには市民でにぎわう。となりには桂宮邸址があり、こちらには築地塀や表門が残っている。 奈良の西大寺には寝殿造りである近衛家の政所御殿が移築され、愛染堂として使用されている。愛知の西尾城には近衛家の数奇屋棟と茶室棟が移築されている。京都の東福寺塔頭・毘沙門堂・勝林寺には大玄関が移築され現在もお堂として使われている。 近衛家は明治に入り東京に移り住んだ当初、篤麿の社会的地位の変化に伴っていろんな場所に住居を移したが、明治35年からは下落合近辺(学習院のある目白駅西側)に邸宅を構えるようになった。現在でも「近衛」の名を冠するマンションや施設などが多く存在している。また下落合2丁目には近衛篤麿公記念碑が建てられている。 また近衛忠熙が東京に移住した際に明治天皇から特旨により与えられた麹町7丁目の皇室付属地に建てられた邸宅があり、近衛家ではここを桜木邸と呼んでいたが、これは京都に住んでいたころの邸宅の名前をそのまま付けた物だった。 文麿が居し、戦前に多くの密談が交わされた東京杉並区荻窪にあった近衛家の別邸荻外荘は現存しており荻外荘公園として保存されている。 また京都の北山には近衛家の京都別邸である虎山荘敷地内に陽明文庫があり、近衛家伝来の多くの国宝を含めた貴重な歴史資料が保管されている。
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