近年の研究動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 05:59 UTC 版)
従来、豊臣秀頼の研究は低調であり、平成4年(1992年)、井上安代が『豊臣秀頼』(続群書類従完成会、1992年)を刊行した程度であった。しかし平成24年(2012年)服部英雄が『河原ノ者・非人・秀吉』で「豊臣秀頼非実子」説を唱えたことをきっかけに、平成26年(2014年)、福田千鶴が『豊臣秀頼』を刊行。服部説に対し反論を行うなど、一次史料に基づく実証的研究が実施され始めた。 秀吉の非実子説は、文禄の役(朝鮮出兵)に秀吉が忙殺され、主として肥前名護屋城に滞在していた時期と淀殿の懐妊が重なっていることや、正室(高台院)の他に愛妾を多数抱えた秀吉の子とされるのが秀頼と夭逝した兄・鶴松しかいないことから推測されている。ルイス・フロイスも、秀吉に子種がないという憶測が当時既に強かったことを記している。磯田道史は吉田兼見の日記『兼見卿記』の文禄2年(1593年)10月20日に、秀吉の西国在陣中の「女中方の儀」で中村少右衛門らが成敗(処刑)され、秀頼を拾い上げた松浦重政が勘気を蒙ったという記述が、秀頼の出生を疑った秀吉による処置である可能性を指摘している。 しかし、秀吉には長浜城主時代に石松丸秀勝と女児がいたという説もあり、その場合に淀殿との間にしか子供が生まれなかったという説が崩れることになる。
※この「近年の研究動向」の解説は、「豊臣秀頼」の解説の一部です。
「近年の研究動向」を含む「豊臣秀頼」の記事については、「豊臣秀頼」の概要を参照ください。
- 近年の研究動向のページへのリンク