近代の羊羹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 01:14 UTC 版)
明治時代に入ると、国内の産業発展促進の流れのなかで羊羹も製造過程の改良や商品の多様化が進む。また、交通網の発達によって観光客が増えたことで、各地で土産菓子が工夫されるようになり、明治から昭和時代にかけてその土地ならではの羊羹が作られて定着していった。 特殊な包装・用途としては、ゴム風船の中に詰めた玉羊羹が1937年に登場している。これは当時、戦場の兵士に送る慰問用の菓子として、福島県二本松市の和菓子店「玉嶋屋」が大日本帝国陸軍からの指示により開発したものである。その他、割青竹を使用した物や似せたプラスチック製の物、紙またはプラスチック製筒型容器(押し出し容器)、簡便開封可能な紙小箱、カットした羊羹に砂糖をまぶしてキャンディー風パッケージにしたものなどもあり多様化している。 現在では、この他にも食品が練り込まれた羊羹が土産品やお茶請けとして親しまれている。比較的高級な羊羹が切り分けて食べる棹物であるのに対し、一口サイズで小分け包装された製品もある。また、高カロリーであることを活かし、スポーツ用途の栄養補給食品などもある。
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