近代の西道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:07 UTC 版)
江戸時代には大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では41石余、「郡村高辻帳」では41石余、「三州御治世要覧」では72石余、「旧高旧領取調帳」では80石余であった。 西道村には薩摩藩の製蝋所が設置された。西道と藤野ではスイカが桜島大根の前作として栽培されていた。寛文8年(1668年)には隣村の藤野村との境界紛争が発生し、西道村が主張した境界線に変更となった。 1887年(明治20年)4月2日には「 鹿兒島縣下分郡ノ件」(明治20年勅令第7号)により大隅郡が南北に分割され、西道村は北大隅郡の所属となった。
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