輸入車としてのF40
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 04:12 UTC 版)
「フェラーリ・F40」の記事における「輸入車としてのF40」の解説
日本に初めてお目見えしたのは1987年末である。新車価格は当時の日本のディーラー価格で4650万円。 発表当時、各国のフェラーリ正規ディーラーにオーダーが殺到する事態となり、日本では当時バブル経済のまっただ中にあったためプレミアが付き、一時は2億5,000万円で取引されたこともあった。日本のディーラーなどでは、F40以外の車種もまとめ買いし、納車を早めるなどをしたため高くなったともいわれている。このように非常に高い価格で取引されたことから、「走る不動産」とも呼ばれた(自動車は「動産」)。 当初発表された生産台数は350台ないし400台であったが、フェラーリは殺到するオーダー数に鑑み、急遽F40を増産することで対応。結局1992年の生産終了までに1,311台が生産された。日本の正規輸入車は59台、その内ストラダーレモデルが58台、コンペティツィオーネが1台となっている。 各種メディアにも大々的に紹介され、テレビ番組『カーグラフィックTV』は谷田部テストコースでフルテストを行った。玩具化も盛んで、田宮模型、フジミ模型やレベル、イタレリ、ポケール、ブラーゴ、マテル、京商等の各社から模型化された。 日本での逸話としては、以下のものがあった。 名古屋市の人材派遣会社「メイテック」が、同じ名古屋市の輸入車ディーラー「オートトレーディングルフトジャパン」からの提案を受け、社有車として購入。入社式で新入社員対象の体験試乗イベントを行った。当時の社長は創業者の関口房朗だった。しかし、関係者が運転中に、茶臼山高原道路上でエンジントラブルのため炎上全損。新聞記事で大きな話題となった。 あるジャーナリストが試乗(インプレッション)中に崖から転落し、そのクルマをマラネッロのフェラーリ本社で修理した。 1990年に発売された市販のビデオソフト「激走! フェラーリF40」において、常磐自動車道を300km/h以上で走行するシーンが問題となり、運転者の切替徹とビデオ販売会社が摘発を受けた。
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