軍隊・官僚制度の改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「軍隊・官僚制度の改革」の解説
1870年には外務省を除く全省庁で採用試験制度を導入した。これによって官僚の中心は貴族から高学歴エリート(当時は大学の門が狭かったので大卒者も結局貴族が多かったが)へと変貌していった。外務省だけ除かれたのは外相クラレンドン伯爵が強硬に反対したためだった。 またグラッドストンは、普仏戦争に圧勝したプロイセン軍を見て、軍隊改革の必要性も感じていた。当時のイギリス軍では将校の階級を買い取ることができ、貴族が次男・三男の就職先としてよく購入していた。この制度のせいで軍の能率が悪くなっていると感じたグラッドストンはこの制度を廃止する決意を固めた。陸相カードウェルがこれを陸軍統制法案として議会に提出したが、貴族や軍人の保守党議員、また自由党ホイッグ派(貴族が多い)が激しく反発し、議事妨害さえ行った。結局法案は庶民院は通過したものの、貴族院で否決された。 グラッドストンは将校階級買い取り制度の法的根拠がジョージ3世の勅令だったことを利用して、ヴィクトリア女王を説得して、彼女の勅令をもって強引にこの制度を廃止した。これに対して野党保守党党首ディズレーリは「政府が窮境を免れるために女王陛下の勅令を利用するとは非立憲的である」と批判したが、この点は党内の急進派からも批判され、党内の亀裂が広がった。
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