軍事的啓蒙主義の勃興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:19 UTC 版)
軍事学の成立は軍事教育にとって歴史的な転換点となった。もともと軍学校として砲兵や工兵など特別な工学知識が必要な職種のための学校はあったが、軍事学を将校に教育する学校は18世紀中葉まで存在しなかった。1751年のフランス王立軍事学校さきがけとして、イギリスやプロイセンでも軍事学の研究教育に従事する機関が設置されるようになるが、本格的な軍事学のための高等教育機関が創設されたのはプロイセンであった。プロイセンではヴェーゼル要塞の司令シュリーフェン中将が1792年に「戦争術愛好家による愛国協会」をヴェーゼル近郊の駐屯地で勤務する設置し、軍事学の論文発表と検討会を開始した。これと同時期の1792年に軍事学者であったシャルンホルストは軍事専門知識を研究するための研究会の設置を主張した。1801年にシャルンホルストと他の9名の有志によってベルリン軍事協会と呼ばれる将校のサークルが立ち上げられ、ここが中心となって学術的かつ集団的な軍事学の研究が進められていった。入会規定にも匿名での論文審査が義務づけられ、18世紀当時の学術教会の入会審査を同様の基準が取り入れられた。この協会は1805年の軍隊動員令の発令に伴って3年間で解散することになったが、このサークルで軍事の学術的な研究が確立されていった。
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