軍事的定義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 06:27 UTC 版)
日本語では「百人隊」、「百夫隊」と訳される事が多い。王政・共和政中期までは単に兵士の集団単位であったが、ガイウス・マリウスによってローマ軍団の枢要な戦略的単位に変貌を遂げる。80人で構成されるケントゥリアは、後代の理想的な構成の場合、部隊内は10個コントゥベルニウム(8人からなるローマ軍の最小構成単位。8人は、一つのテント分の人数でもある)から成り立っていた。また2個ケントゥリアで1個マニプルス(中隊)を形成し、3個マニプルス(=6個ケントゥリア)で1個コホルス(歩兵大隊)を形成した。 ひとつのケントゥリアには指揮官として先頭に立つケントゥリオ(百人隊長)が1人、副官として最後尾に立つオプティオ(百人副長)が1人、そして78人の軍団兵によって成り立っていた。この78人の軍団兵は戦闘の際には6人からなる縦列を13列横に束ね、密集して敵と対峙した。ただし兵数が定員通りだったのは稀で、実際は60名程から80名までの差異があった。
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