蹴り技の名手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 08:05 UTC 版)
「鈴木浩平 (空手家)」の記事における「蹴り技の名手」の解説
蹴り技が得意であり、大会のほか、演武会や撮影などでも活躍した。講談社の週刊少年マガジンで試割り特集が組まれた時、大山倍達・大山泰彦・山崎照朝らと共に参加して、ビール瓶や泰彦の頭上に置いたスイカを回し蹴りで割っている。また、泰彦の渡米後、泰彦の編み出した二段蹴りを受け継ぎ、演武会などでこの技を披露した。 この頃、「従来の相撲流の稽古だけでは飽き足らず、ほかの格闘技の練習方法も採り入れて独自の稽古体系をつくりあげたい」という考えで、大相撲の時津風部屋に所属する十両の松乃山が本部道場に通ってきていた。松乃山は身長180センチメートル、体重110キログラムの体格で、両足を180度に開脚して胸を床につけることができる柔軟性を持ち、サンドバッグを蹴ると、半分に折れ曲がっていた。当時、指導を主に任されていた岸信行や三浦美幸などは松乃山の蹴りこみを見て「ロウ先輩(盧山初雄)の三日月蹴りだって、ああはならない」「松乃山が組手するレベルまで上がってきた時に誰が相手するのか・・・」と話し合っていた。やがて松乃山が組手をするようになり、緑帯・茶帯連中を重量級の蹴りで飛ばし、黒帯は松乃山を翻弄することは出来てもKOすることはできなかった。そんなある日、鈴木が松乃山と組手をした。松乃山は相撲仕込みの出足の鋭さで間合いをつめるが、鈴木は円を描くように回り込みながら、松乃山へローキックを連発する。松乃山はこれを嫌がり、再び鈴木に突進してきて前蹴りを放つが、鈴木はやはり円を描いて捌き、左ハイキックを松乃山の顎に入れた。松乃山は鈴木の足元にねじれた格好で崩れ、鈴木が松乃山を倒した最初の黒帯となった。
※この「蹴り技の名手」の解説は、「鈴木浩平 (空手家)」の解説の一部です。
「蹴り技の名手」を含む「鈴木浩平 (空手家)」の記事については、「鈴木浩平 (空手家)」の概要を参照ください。
- 蹴り技の名手のページへのリンク