踏まれしは百足の姿に生れしゆえ
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評 言 |
作者は、大正5年生れ、辰年の今年は96歳の年男である。金子兜太名誉会長をして「長壽、小生の目標にします」ともいわしめた。温顔艶やかな現代俳句協会名誉会員である。 「著者略歴」によると、凡そ65年の俳句歴であり、各種表彰も俳句に限れば、平成22年受賞の「地域文化功労者文部科学大臣賞」に極まる。 掲句、昨年刊行の、厚さ4センチ、ページ数500、収録数2000句に迫る大冊『大山安太郎全句集』から抜いた一句である。 この句に触れるについては、先ずは、作者が敬虔な浄土真宗門徒であることを書いておかねばならない。そこから滲み出てくる作者の慈悲の心が、一句ごとに、静かに読み手の心に沁み込んで来るのである。更に、本集に通底する命への尊厳の念は、百足にして蛇蝎のごとく忌み嫌われるものにまで惜しみない。「悪人正機説」にも繋がる。掲句、逆説的に人間の傲慢さを刺し、かつ自分を含め、百足ではなくその“姿”を踏んでいる醜さを咎める。上五からは絵踏やキリスト像をも想起させるし、「梅雨深しユダに提婆にまたわれに」の句と併せて鑑賞すると解りやすい。 加えて、人口に膾炙した「しんらんがいてなめくじと私がいる」にも見られるが、この三者並列の思想こそが、アニミズムをも超越した“平等心”を詠む安太郎ワールドであろう。開かれた悟りは、俳句という最短詩型をしてこのように表現され、読み手に伝わる。 今年は親鸞聖人750回大遠忌、「親鸞忌の灯が照らしいて遊女の墓」「美しき掌を掌につつむ親鸞忌」「しんらんと坐して霞の端におり」他親鸞忌を詠む句は20句に近い。 因みに、金子名誉会長は、「まなぶたを閉ぢても月の鶴歩む」を、(大山安太郎氏の)「文句なしの代表句」と絶賛された。 願わくば、俳句は人間形成のツールでありたい。これからも後へ続く者たちへ、その背中を晒しつづけて欲しいと、切に思う。 (写真:荒川健一) |
評 者 |
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備 考 |
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