足柄峠・碓氷峠以東(坂東)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 14:12 UTC 版)
「関東地方」も参照 今日では関東地方と称せられるこの地域を坂東・東国と呼ぶ例が多い。 日本神話の英雄日本武尊(倭建命)が東国遠征の帰りに途中で失った妻(弟橘媛)のことを思い出して、東の方を向いて嘆き悲しみ、碓日坂において東側の土地を「吾嬬(あづま)」と呼んだと伝えられている。ところが、その土地については『古事記』は足柄坂(足柄峠)、『日本書紀』は碓氷山(碓氷峠)であったとされている。 この逸話を直ちに実話とすることは不可能ではあるが、奈良時代の律令制において足柄坂より東の東海道を「坂東(ばんとう)」・碓氷山より東の東山道(未平定地の陸奥・出羽を除く)を「山東(さんとう)」と呼んだ。 後に蝦夷遠征のための補給・徴兵のための命令を坂東・山東に対して命じる事が増加し、やがて両者を一括して「坂東」という呼称が登場した。その初出は『続日本紀』神亀元年(724年)の記事を最古とする。以後、従来の五畿七道とは別にこれらの国々を「坂東」の国々あるいは「坂東」諸国として把握されるようになり、蝦夷遠征への後方基地としての役目を果たすようになった。 その後も地理的に一定の区域を形成したこの地区を1つの地区として捉える考え方が定着し、その呼称も短縮されて「東国」とも呼ばれるようになったと考えられている。
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