越後鉄道とは? わかりやすく解説

越後鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 08:02 UTC 版)

国鉄1260形蒸気機関車」の記事における「越後鉄道」の解説

越後鉄道(現在の東日本旅客鉄道越後線弥彦線)へは、1922年製の2両が入り16, 17付番された。1927年昭和2年)の越後鉄道国有化ともなって、1740形(1740, 1741)と改番された。この機関車動輪径は1,067mmであったが、簸上鉄道のものに比べて水槽大きく原形となった1480形並み容量があった。 ブレーキ装置真空ブレーキ手ブレーキであったが、国有化後に真空ブレーキ空気ブレーキ改められた。越後線などで使用されたが、1937年昭和12年)に1両が札幌鉄道局移動し1942年昭和17年)に2両とも廃車となった

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越後鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:53 UTC 版)

越後線」の記事における「越後鉄道」の解説

信越本線柏崎から内陸部入り長岡三条経由することとなったため、柏崎から日本海沿岸経由して新潟に至る鉄道計画された。これが越後線前身である越後鉄道(えちごてつどう)である。越後鉄道は1912年大正元年)から翌年にかけて全通した。しかし、越後鉄道は資金不足のため信濃川架橋することができず、新潟側のターミナル信越本線新潟駅とは信濃川隔てた対岸白山置かれた。 越後鉄道は経営難苦しみ政治工作によって度々国有化要請した容易に実現しなかった。 1927年昭和2年1月水戸鉄道(のちの水郡線)・陸奥鉄道(のちの五能線)・苫小牧軽便鉄道日高拓殖鉄道(のちの日高本線)の4私鉄加えて越後鉄道の買収案が突如浮上相前後して白山 - 新発田間の新線案(のちの白新線)も提示された。紛糾の末に国会議決経て5社の国有化決定、越後鉄道は同年10月国有化された。 五私鉄国有化当初から政治的意図指摘されたが、特に越後鉄道については強い政治介入ささやかれており、のち1929年昭和4年)に「越後鉄道疑獄」として表面化元文大臣小橋一太収賄容疑起訴される事態となった

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