越後長岡藩家臣団の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
「越後長岡藩」の記事における「越後長岡藩家臣団の概要」の解説
上州大胡在城期(天正18年(1590年) - 元和4年(1618年))の牧野家は2万石(士分人数は200名前後)であったが、その当時、上州(群馬県)には、戦国期の関東支配者であった小田原城主後北条氏の滅亡で、地侍化した有力な牢人(浪人)が溢れていた。藩主・牧野家が、大胡から長岡に領地3倍増で栄転にあたって、家臣団を急増させる必要に迫られたため、これらを新規召し抱えたので、牧野家中には、牛久保以来の家柄の家臣、上州浪人の出自を持つ家臣、越後の旧領主上杉家の元家臣・陪臣を含む地元出身者、およびその他とに大別されることになった。廃藩のときの越後長岡藩士の戸数は、士分格式(小組以上)607戸、卒分格式1122戸があった。個々の上級家臣、詳細については、越後長岡藩の家臣団を参照されたい。
※この「越後長岡藩家臣団の概要」の解説は、「越後長岡藩」の解説の一部です。
「越後長岡藩家臣団の概要」を含む「越後長岡藩」の記事については、「越後長岡藩」の概要を参照ください。
- 越後長岡藩家臣団の概要のページへのリンク