買収と火災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:19 UTC 版)
「ホテルニュージャパン」の記事における「買収と火災」の解説
詳細は「ホテルニュージャパン火災」を参照 ホテルは1970年代に入ると、藤山愛一郎が政界進出で資金流出が続いた点や、新規事業等の不振から藤山コンツェルンが衰退したことから、様々な再建策が模索され始めた。一時はホテル業界進出を当時検討していた全日空が買収する案があったが、レジデンス部分の扱いで折り合いがつかず進まなかった。 こうした結果、愛一郎の長男・藤山覚一郎(大日本製糖社長)に懇請 された大日本製糖の大株主の横井英樹率いる東洋郵船が、ホテル業界進出も狙って買収することを決め、横井自ら社長に就任して経営にあたることとなった。 ホテル経営については完全な素人で、企業経営についても知見の無い横井の「経営方針」は、人員の整理や経費削減といった法をも無視した徹底した合理化策であった。このため安全対策予算が削られ、館内のスプリンクラーは作動しないまま、消防設備・館内緊急放送回路も故障したまま放置し、国内で起きた火災史上最悪となる118人の犠牲者を出した「大阪千日デパート火災」を教訓として1974年に改正された消防法に基づき、東京消防庁麹町消防署より再三にわたり「館内防火管理体制を改善する」よう指導されていたが、横井は予算不足を理由に無視し続けていた。 それまで加湿など集中冷暖房で対応していた空調も削減対象になり、加湿機能を削減し管理されるようになった。ただし、宴会場やロビーにはシャンデリアやフランス製の古家具を置くなど表面上は豪華さを演出する方策もとられた。 結果として、1982年2月8日、貧弱な防火設備と疲弊した労働環境による従業員の対応不全により、宿泊客の火の不始末を原因とした火災によって、ホテルニュージャパンは死者33人を出す惨事に見舞われてしまう。
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