販売自由化と減税
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
1949年(昭和24年)5月6日酒類の配給制が解かれ酒類販売の自由化がなされた。配給制から自由化に移行するに当たって、各都道府県に指定の卸が置かれることとなった。この卸の役割を担ったのが酒造メーカーであった。江戸時代から続く、小売店の店頭で小銭を払って酒を立ち飲みする風俗(角打ち)は、1943年(昭和18年)に酒類が配給制となってから途絶していたが、この販売自由化によって復活した。 全国清酒品評会は隔年の秋に1950年(昭和25年)まで開催されたが、やがて行われなくなった。いっぽう産業振興よりも醸造技術の修得・向上が目的とされる全国新酒鑑評会は、現在に至るまで毎年春に行われている。 1950年(昭和25年)6月朝鮮戦争が勃発し、日本に特需景気をもたらし始めると、密造酒の撲滅のためにその機会を狙っていた政府は、同年12月、明治以来はじめて全酒類の減税に踏み切った。引き下げ率は平均30%近くという画期的なもので、闇酒から日本人が脱却するきっかけとなった。同時期に食糧事情が好転し、酒造用米の割り当ても増加したため、ようやく日本酒の製造量および消費量が伸び始めた。しかし、酒造用米不足を解消するために導入された三倍増醸酒は、米が余るようになった高度経済成長期にも廃止されずに残り、ひいては石油危機に始まる日本酒の消費低迷期を招くこととなる。
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