象徴主義の影響
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「ロベール・デスノス」の記事における「象徴主義の影響」の解説
1919年からジャン・ド・ボンヌフォン(フランス語版)に師事し、秘書を務めた。ボンヌフォンは、「反教権主義的カトリック教徒」を自称して政教分離を支持し、また、出版社を設立して複数の文学雑誌を主宰した人物である。同年、前衛雑誌『トレデュニオン』に初めて数篇の詩を発表した。ギヨーム・アポリネールの影響が伺われる詩であった。また、「文学、政治、芸術、ユーモア」を副題とする社会主義的な雑誌『トリビューヌ・デ・ジューヌ』 などにも発表し始めたが、デスノスの初期の詩は、アポリネールに限らず、ボードレール、ローラン・タイヤード(フランス語版)、ジェルマン・ヌーヴォー(フランス語版)、アルチュール・ランボーなどの高踏派、象徴主義の影響の強いものであった。 第一次大戦後のパリでは新しい芸術・文学運動が次々と起こったが、なかでも重要なのは、既成の価値の破壊やブルジョア的な社会秩序の壊乱を目指すダダイスムの運動であり、アンドレ・ブルトンと1919年に活動の場をチューリッヒからパリに移したトリスタン・ツァラが中心的な役割を果たしていた。この頃出会ったほぼ同い年の詩人で、1920年にブルトンに出会ったばかりのバンジャマン・ペレ を介して運動に参加しようとしたが叶わず、おまけに徴兵年齢に達していた。デスノスは兵役に服し、オート=マルヌ県ショーモンの部隊、次いでモロッコの部隊に配属された。
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