議事録出版とアメリカ独立戦争への関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 15:22 UTC 版)
「ジョン・アーモン」の記事における「議事録出版とアメリカ独立戦争への関わり」の解説
起訴前後にも出版業を続け、1771年頃より議会弁論の概要を毎日書き留めて『ロンドン晩報(英語版)』で出版するようになり、1774年から1780年までは毎月議会の議事記録をThe Parliamentary Registerという題名で出版した。 ウィルクス関連など政府に反対する著作でも恐れずに出版することで名声を得て、トマス・ペインは1777年に『アメリカの危機(英語版)』のイギリスでの出版を検討するとき、アーモンならば「出版するかもしれない」が、ほかの出版者に持っていくのであれば一部の「共和主義的記述を削る必要がある」とベンジャミン・フランクリンに述べたという。結局ペインはアーモンに出版を依頼しなかったが、アーモンは1775年から1784年までアメリカの新聞を報じる月刊誌The Remembrancer, or, Impartial Repository of Public Eventsを出版した。
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