議会が南軍兵士の奴隷を解放(1862年7月)
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「奴隷解放宣言」の記事における「議会が南軍兵士の奴隷を解放(1862年7月)」の解説
1862年7月に、アメリカ合衆国議会は第2押収法(Second Confiscation Act)を提案し、 リンカーン大統領はそれに調印した。この法律は、連邦に反抗的な南軍兵士が保持する奴隷を解放する、というものであった。以下の文は、その法律の抜粋である。 第2節:これ以後、アメリカ合衆国の権威に反抗するような、またはその法律に反発するような反乱を起こしたり、始めたり、それに参加した者は、そしてそのような現存の反乱を助けたり、援助した者は、有罪と決められたならば、10年以下の懲役でもって、または10,000ドル以下の罰金でもって、罰せられた上、その者の奴隷は全て解放される。または、裁判所の判決によっては、懲役と罰金、両方の罰が課せられる。 第9節:次のような全ての奴隷たちは、連邦が得た戦争の捕虜と見なされ、永遠に奴隷の身から解放され、以後再び奴隷となることはない。合衆国の政府に反抗するような、またはその法律に反発するような反乱を起こしたり、始めたり、それに参加した者が主人である奴隷たち、そしてそのような現存の反乱を助けたり、援助した者が主人である奴隷たちで、その主人の元から逃げ出し、連合軍側の土地に避難した者、また、南軍の奴隷たちで、連邦軍の力によって南軍の兵士たちの手から確保・略奪された者、また、本来いた南軍の土地がその後連邦軍側に占拠された奴隷たち。 つまり、この法律によれば、誰でも連邦側に反抗したら持っている奴隷を解放しなければならない。この法律は、国内の奴隷制を完全に廃止した合衆国憲法第13修正とは違うものだが、議会の「南部連合軍側の奴隷たち全員を解放したい」という意思は、この法律によって明らかなものとなった。同様に、リンカーンの奴隷解放宣言は、彼のそのような意思を国民に明らかにしたものだった。
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