警察から空軍へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/13 15:30 UTC 版)
「カール・コラー (軍人)」の記事における「警察から空軍へ」の解説
戦後の1919年12月に釈放され、1920年2月にバイエルン州警察に入り、警察航空隊に入った。仕事以外でも飛行機に熱心で、「バイエルン・アエロクラブ」に属して滑空競技に打ち込んだ。1921年の大会にバイエルン州代表として参加。640mの記録を出して滑空の最高記録を出したが、直後に記録を更新された。5日後に1900mの世界記録(飛行時間約3分)を出した。5日後には高度を下げることなく旋回することに世界で初めて成功し、世界中の注目を集め、イギリス、フランス、スイスなどに講演に招かれるようになった。そうした中でエルンスト・ウーデットと親しくなった。警察では1922年から1928年まで運転手として務めた。警察中尉に昇進していたコラーは1932年までミュンヘン警察に勤務し、1933年1月に警察大尉に昇進し、ミュンヘンの警察学校教官に就任して警察の指導的立場に立った。 しかしナチス政権が成立しドイツ空軍が新設されると、1935年に大尉として空軍に入隊した。コラーは国民学校しか出ていなかったが、ベルリンの空軍学校で学び1936年にオルデンブルクの戦闘機隊の課程教官になり、早くも1936年8月には少佐に昇進した。ついでベルリン・ガトウの空軍学校教官を務め、1938年1月にミュンヘン地区航空隊首席作戦参謀となった。
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