調印の方法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:52 UTC 版)
9月2日、カステッラーノは再度カッシビレに到着した。しかし連合軍側の期待を裏切り、彼はまたしても調印権限を持っていなかった。カステッラーノはイタリアを降伏という不名誉な事態から逃れさせるため、降伏に言及していない電文によって停戦を実現させる作戦をとったが、連合軍側はカステッラーノに降伏権限授権を要請させた。連合国側が満足する授権の電文が到着したのは、9月3日の午後5時になってからであった。 電文を受諾した午後5時15分に調印式が始まった。カステッラーノはバドリオの代わりに、ベデル・スミスはアイゼンハワーの代わりに、受託文章にサインを行った。500機の航空機によるローマへの爆撃任務は最後の瞬間に中止となった。これはアイゼンハワーによる講和の手続きを加速のための予防策であった。連合国スタッフのイギリスの代表である、ハロルド・マクミランは「どんな種類の修正も無く」講和に調印が行われたとウィンストン・チャーチルに知らせた。休戦協定は同日中に発効したが、世界には公表されず、戦闘はなおも続いていた。 調印が行われた後にカステッラーノは、キャンベル大使がザヌッシに伝えた「降伏条件」を提示された。カステッラーノはこれを承知していないと主張し、スミス少将に抗議した。スミス少将は降伏が相対的な効果しか持たないと念書を書き、カステッラーノに手渡した。
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