読売巨人軍との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/23 00:58 UTC 版)
「スポーツ玉澤」の記事における「読売巨人軍との関わり」の解説
読売巨人軍のユニフォームにおいては、V9時代(1965年 - 1973年)に着ていたものを手掛けていた。さらに、戦前1936年当時のTAMAZAWA製のもの(青柴憲一投手が着用)も発見されている。のち長嶋茂雄監督(第一次)時代から藤田元司監督(第一次)時代まで TAMAZAWA が手掛けた(デサント製のものと併用)。 ボールに関しても、広澤克実によると、かつて巨人軍でTAMAZAWA製を使っていたという。 また、川上哲治がプロ3年目の1940年に初めて(短期間ながら)使用したとされる「赤バット」は、この時既に出入り業者となっていたTAMAZAWAの担当者に本人が発注したものという情報もある。当時のチームカラー海老茶色を川上が希望したものの、塗料の関係で赤っぽくなったのが発祥だという(その後の「赤バット」は川上が復員復帰した1946年に南風堂が贈呈し、翌1947年に美津和タイガーが年間契約で提供したがボールへの着色弊害でカラーバット自体使用禁止になったという)。
※この「読売巨人軍との関わり」の解説は、「スポーツ玉澤」の解説の一部です。
「読売巨人軍との関わり」を含む「スポーツ玉澤」の記事については、「スポーツ玉澤」の概要を参照ください。
- 読売巨人軍との関わりのページへのリンク