評論の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 06:49 UTC 版)
本人の主張によれば、常に自分だったらどう演奏するかを頭に置き、演奏家の視点を反映させて評論しているから、「主観的」になるのは当然だということである(例えば、宇野功芳へのインタビューを参照)。 断定的な言い切り表現(「○○だ」「○○である」)が多用され、悪いと感じた演奏に対する遠慮のない辛口表現(「メータのブルックナーなど聴くほうがわるい、知らなかったとは言ってほしくない」「あの顔を見れば、およそどのような指揮をする人であるかは一目瞭然」など)が用いられる。このほか「切れば血の出るような」「光彩陸離たる」「コクのある響き」「いのちを賭けた遊び」など、彼特有の言い回しは多い。 そのアクの強い文章は、しばしばクラシックファンの揶揄やパロディの対象となる。『クラシック悪魔の辞典』(1999年鈴木淳史著・洋泉社)には「ウノ語」という項目があり、「神が、宇野功芳だけに使用をお許しになったといわれる、独創性に彩られた最高級の紋切言葉。」と解説されている。 人気や巷間の評判などにかかわらず、良くないと思った演奏や演奏家はバッサリ切り捨てる(稿料をもらっているであろうディスクのライナーノートでさえ一切ほめずに酷評していることがある=クレンペラー指揮、ブルックナー交響曲8番など。敬愛するワルターの演奏でも駄目なものはバッサリ酷評している)が、優れていると思った演奏は、ふだん酷評ばかりしている演奏家のものであってもしっかりと褒めている。たとえば、カラヤンには総じて批判的だが、褒めるときは思いきって激賞している。 また、「音楽評論家である以上、好き嫌いではなく良し悪しを語らなければならない。」とも述べる。
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