解隊の経緯・その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 13:43 UTC 版)
解隊は、薬丸が「今後の方向性どうする?」と本木と布川に相談した際、元々俳優業に興味のあった本木が「業界そのものを辞めて、パリでもどっかでもいって、皿洗いでも何でもいいからしたいから、二人(薬丸と布川)に『辞めてもいいか』と言った」のがきっかけとなった。その話をした際に二人とも目が点になってたそうだが、薬丸は「僕はそれぞれにソロで仕事しても、当時の『ザ・ドリフターズ』みたいにまた3人で戻ってきて、特番やったり、グループの活動すればいいじゃないか」と解隊ではなく活動休止にしたらどうかと考えていた。しかし、布川は「本木がそう言うなら(解隊しても)いい」と賛同した為、意見が2対1となってしまった。また、ジャニーズ事務所からは後日少年隊や光GENJIがデビューしており、特に少年隊はバック転も出来、ダンスにかける思いも凄かったが、シブがき隊はバック転も出来なかった為、そんな少年隊を目の当たりにし「俺ら終わったな」と感じ、「このままシブがき隊として、お爺さんまでやっていけるのか?どうせなら人気のあるうちに解散しよう」と、3人で話し合って解散が決まった。後年、本木は「グループを終えさせてしまったのは私」、「私が暴走したので、こういう結果になった」と語った。 解隊後、本木と布川はジャニーズ事務所をすぐ離れた。薬丸は残ったが、その1年後にジャニーズ事務所を離れた。 解隊以来、3人が公の場に揃って出ることはなかった。しかし、本木も布川もそれぞれ薬丸が司会の『はなまるマーケット』「はなまるカフェ」にゲスト出演している。その後、本木主演の映画『おくりびと』が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した際、授賞式の翌朝、同番組でロサンゼルスより生中継にて薬丸が本木にインタビュー。久々に二人の共演が実現した。また薬丸のレギュラー番組『オジサンズ11』に布川がゲスト出演し共演した。 2010年の夏に布川が"ふっくん布川"として「スシ食いねェ!」をもじった「そば食いねぇ!」でソロ・デビュー。解隊から22年振りの歌手活動。 2012年1月13日、TBS『ぴったんこカン・カン』で、スタジオに薬丸・VTRで本木(ドラマ「運命の人」番宣で沖縄)と布川(妻子とともに石垣島と"シブがき島")が出演、同一番組内に解隊後初めて揃って出演となった(共演ではない)。
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