親族・子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:02 UTC 版)
「マリア・アンナ・モーツァルト」の記事における「親族・子孫」の解説
弟ヴォルフガングの成人した2人の子(つまり、ナンネルにとっては甥)であるカール・トーマスとフランツ・クサーヴァーは子を残さず、モーツァルト(ヴォルフガング)の直系子孫は1858年にカール・トーマスが74歳で没したことにより断絶した。 ナンネルの没後、ナンネル直系の子で生き残っていたのは長男であるレオポルトであった。レオポルトは後に結婚し、ナンネルの孫を残したが、この系統も1919年に曾孫の代で途絶える事となった。 アウクスブルクにはナンネル・ヴォルフガング姉弟の叔父(父レオポルトの弟)フランツ・アロイス・モーツァルト(1727年 - 1791年、アウクスブルクの製本工)がおり、その娘にマリア・アンナ・テクラ・モーツァルト(1758年 - 1841年、愛称「ベーズレ」)がおり、彼女は従兄にあたるヴォルフガングと互いに惹かれ合ったといわれ、ヴォルフガングが初めて肉体関係を持った女性である。このマリアの他に無名の息子が2人(マリアの兄弟)がいる。 フランツの製本工は1836年まで続くが、その後のフランツの子孫たちは軍人、理髪師、鉄道職員など様々な職業に就いた。このアウクスブルクのモーツァルト家の血統も1965年に女性服装洋裁師であるカロリーネ・グラウ(Karoline Grau、旧姓モーツァルト)の死を持って途絶えたという。これにより、エンドリス・モッツハルト(1585年頃没)以来のモーツァルト家の血筋は約380年の歴史に幕を下ろしたのである。
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