親族・先祖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:53 UTC 版)
父の昇蔵は士族の出身。弟の恒次郎は医師、次男の順蔵は中国思想史家として知られる。次女の「しげ」は弟子である倫理学者・森滝市郎と結婚した。 晋一郎を生んだ分知家医師の西家の初代は西恕庵といい、明和6年(1769年)鳥取藩西分知家四代池田定得に召抱えられた。恕庵は定得、五代定常に仕え、天明5年(1785年)11月に没した。 二代目恕庵は天明5年(1785年)11月に家督を継ぎ、定常、六代定興、七代定保の三代に侍医として仕え、天保4年(1833年)3月に没した。 三代目柳庵はその5月に家督を継いだ。七代定保、八代清直、九代清緝、十代徳定に仕えて維新をむかえ、明治2年(1869年)家督を倅昇蔵に譲って隠居した。その後鳥取で暮らしていたが、その没年は判っていない。倅昇蔵は武士となって廃藩をむかえている。 ┏信蔵 ┏晋一郎━━┫ 恕庵━━恕庵━━柳庵━━昇蔵━┫ ┗順蔵 ┗恒次郎━━━禄郎
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